君は岡岷山を見たか? 浅野藩の絵師が、江戸時代の「湯来」を歩き描いた!!
こんにちは。
したたかです。
さて、江戸時代、広島藩士で
絵師としても活躍した岡岷山(おかみんざん・おかびんざん)を
ご存知でしょうか。
七代藩主 浅野重晟(あさのしげあきら)に仕えた岡岷山は、
寛政9年(1797年)8月23日から30日(旧暦)
までの8日間、広島城から山県郡豊平町都志見(現北広島町)の
駒ヶ滝を描くために旅にでました。
岡岷山、その時、すでに64歳でした。
道中の風景画を40枚描いています。
そのうち、15枚を湯来で。
ただいま、広島市立中央図書館では、
「『都志見往来日記・同諸勝図』と浅野文庫名作品展
―江戸の広島を旅するー」を開催中です。
岡岷山が8日間かけて歩き描いた全40景を
現在の風景と比較しながら紹介する写真パネル展です。
開館80周年を記念して行われた同展。
開期は11月13日(日)まで。
間もなく終わってしまいますが
この機会に、同展で「江戸の広島」を旅してみませんか。
さてさて、昨日。
岡岷山も描いた
「鍋石」に行ってきました。
場所は、「湯来しあわせ観音」のすぐそば。
都志見往来日記のよると
「左の方、谷川の向こうに明神杉一株あり、
盤根、石をからみて枝垂れ流れを覆う。
この辺谷川の底すべて一面の大石なり。
杉の木の下、流れのそこにくぼき所二つあり、
これを釜石、鍋石という。わたり三尺ばかり、深さもそれに応ず」
岡岷山が描いた、その明神杉は現在はありません。
ただ、いまでも岩の間にその根は残っているらしいのですが
残念ながら見つけることはできませんでした。
近隣の方に、うかがって、その根を探そうかと思います。
大きな窪みと小さな窪みがあったのですが
これが、鍋石、釜石でしょうか?
「旱魃(かんばつ)の時この釜を洗う。
その洗う人はみの笠をかぶり、大雨じゃ、
やれうれさ、やれうるさ、というて雨乞いをすれば雨降るといえり」
「山の根に厳島明神の小社あり、その後ろより細泉湧く。
社の左右に分かれて流れ落ちる。
これを眼洗水といいて眼を痛める人この水にて洗えば
たちまち平癒すという。
この水の至る清泉、鏡のごとし青黒き石の間を伝うて流れる。
しかるにこの水の流るる跡、
色赤くしてあざやかなること朱のごとし、奇とすべし」
現代の「厳島明神」はこちら。
その入口横には、
水が。
これが、都志見往来日記に出てくる「眼洗水」でしょうか。
たしかに、「清泉、鏡のごとし」です。
せっかくだからと、厳島明神にお参りし
階段を降りると。
ん!? ギンナン??
イチョウの樹がそばにあるので、
ギンナンが落ちていてもまったく不思議ではないんですが、
そのギンナン、
こんな風に。
誰かの落し物でしょうか?
それとも、誰かからの僕への
ギフトでしょうか?
岡岷山??
まさか?
ですね。
せっかくなので、いただいて帰りました。
岡岷山が歩いた、湯来の道中を今度歩いてみようかと。
このギンナンを、ポケットにいれて。
※岡岷山の絵は、広島市立中央図書館所蔵の
「『都志見往来日記・同諸勝図』より
では、また。